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中国で、普通の日常生活をテーマとしたドキュメンタリー映画を撮っている監督は非常に少ない。 できれば、私の作品が、ひとつのジャンルを形成することができないだろうか。 なぜなら、日常生活で生じた出来事というのは、今の社会のありのままの姿を反映しているからだ。 なぜ観客はドキュメンタリー映画の内容に笑ったり、実感がわいたりするのだろう。 それは一人ひとり違うが、ドキュメンタリーに記録されている出来事は、すべて私達の身近で発生した出来事なのだ。 『高三』の内容は、福建省武平県一中(※訳注 中学ではなく、日本の高校に当たる)で起きたことだ。 武平は、風景は美しいが閉塞感のある田舎町で、クラス担任の王錦春は保護者たちに向かってこう言う。 「この土地には鉄道も、高速道路もまだない。資源らしい資源もない。」「つまり、私たち武平の人にとっては、道はひとつしかないのです。つまり大学受験に合格し、この地を離れることです。」 王先生や他の教師たちの教えの下、70人あまりの生徒が熱心に勉強し、次々とこの地を離れていく。 彼らのあらゆる努力は、つまり彼らを育んだこの地を離れるために注がれているのだ。 しかし、内陸の多くの農村や田舎町から大学に進学し故郷を離れた生徒たちは、『高三』を観ると、きっと、あの憂鬱で、落ち着かず、沈んでいながらも忘れがたい一年間を思い出すのではないだろうか。 女子生徒の林佳燕は「ただ前へ進むだけ」と想いを語り、男子生徒の鐘生明は夜中に抜け出してネットカフェに行ったために学校から処分を受け、またある生徒は逃走して見つかって連れ戻されたり、酒に酔った生徒が訳の分からないことを言って泣き喚いたりする。 そんな彼らをクラス担任が強く励ます。 狂喜と落胆の入り混じる保護者面談、入党式、きりのない政治課の暗記、きりのない試験や練習問題…。 私は21世紀初頭の、我々中国の平凡な田舎の高校の一年間がどのように到来し、過ぎていくのかを撮ろうと思った。 私が表現したかったのは、いまこの時代の、この社会制度の下にある高校の、真実の姿だ。 私は撮影中、このクラスの生徒たちをからかってこう言った。 この映画が公開されても、君たちには意味が分からないだろう、と。 しかしそれは別に私が抜きんでているからだとかそういうことではなく、私が言いたいのは、この映画を理解するには多分30歳を過ぎる必要があるだろうということである。 決してこの映画が難解で高尚だという意味ではなく、30歳になって、ある程度人生経験を積んだとき、もっとも見たくないと思う部分が、実は最も見たいところなのだ。 私は、『高三』は我々のある時期を映す鏡のようなものだと思う。 大学受験に挑んだことのある者は、多かれ少なかれこの映画の中に何かを見つけることができるだろう。 sinoreel.com「本月人物 : 周浩:我希望,我能继续拍下去」より
by cifft
| 2008-08-14 18:34
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